ARCHIVE減災アーカイブ

過去の経験を、未来のヒントに。

九州ではこれまで数多くの災害が発生しています。
九州の新聞社も被災者のひとりとして県民や地域に寄り添い、災害と向き合いながら報道活動を行っています。その受け継がれるべき経験や教訓を生かすために、新聞社が保管している今までの記事を一部公開、発生した主な災害について振り返ります。
当時、災害地を取材した第一報記事を今改めて読むことで、災害を乗り越えるヒントにしていきます。

2020年9月

2020年台風10号

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熊本日日新聞 西日本新聞社 佐賀新聞社 長崎新聞社 宮崎日日新聞 南日本新聞社

2020年、台風10号は9月5日から7日にかけて、大型で非常に強い勢力で沖縄地方、奄美地方、九州へと接近。南西諸島や九州を中心に、暴風や大雨、高波、高潮となりました。長崎県野母崎では、最大風速44.2メートル、最大瞬間風速 59.4メートルを観測。また宮崎県神門では4日から7日までの総降水量が599.0ミリとなり、県内4地点で24時間降水量が400ミリを超えています。
人的被害、住家被害は全国各地で起きており、内閣府の2020年9月14日午後2時現在の発表によると、この台風により、佐賀県鹿島市で1人、鹿児島県阿久根市で1人の計2人が亡くなり、宮崎県内の4人が行方不明になりました。重症・軽傷を合わせた負傷者は九州では全県で発生しており、福岡県で13人、佐賀県で7人、長崎県で16人、熊本県で22人、大分県で2人、宮崎県で8人、鹿児島県で15人でした。
また、停電などライフラインにも大きな影響があり、九州を中心とした5県で最大4,635戸が断水に。長崎県は最も影響戸数が多く、それぞれ最大で西海市1,489戸、松浦市1,000戸、佐世保市の黒島本島・神浦地区・平地区3簡易水道830戸など、計3,450戸が断水となりました。

2020年7月

令和2年九州豪雨

提供 :
熊本日日新聞 西日本新聞社 佐賀新聞社 長崎新聞社 大分合同新聞社 宮崎日日新聞 南日本新聞社

2020年7月3日から7月31日にかけ、日本各地で大雨が降り、人的・物的被害が発生しました。中でも3日から8日にかけて、前線の活動が非常に活発になり、九州では4日から7日の間、記録的な大雨に。気象庁は、熊本県、鹿児島県、福岡県、佐賀県、長崎県の九州5県に大雨特別警報を発表し、最大限の警戒を呼びかけました。
この豪雨では、球磨川や筑後川などの氾濫が起きたほか、土砂災害や低地の浸水などによる被害が相次ぎました。特に熊本県では人吉市や芦北町、球磨村などで甚大な被害があり、65人が死亡、2人が行方不明に。住家被害についても全壊1132棟、半壊3112棟をはじめ、計9159棟に上りました。被害は九州全域に及び、熊本県、福岡県、長崎県、大分県、鹿児島県で計76人が亡くなりました。(9月3日14時現在)
この雨は九州を通った後、東日本に延びてほとんど停滞。気象庁は、岐阜県、長野県にも大雨特別警報を発表しました。岐阜県周辺では 7月6 日から激しい雨が断続的に降り、7日から8日にかけて記録的な大雨となっています。気象庁は、全国各地で顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨の名称を「令和2年7月豪雨」と定めました。

2019年8月28日

九州北部・佐賀
豪雨

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西日本新聞社 佐賀新聞社

2019年8月26日から29日、前線の影響で大気の状態が非常に不安定となり、佐賀県、福岡県、長崎県の九州北部地方を中心に、記録的な大雨が降りました。28 日には、3県に大雨特別警報が発表され、約36万5千世帯、約87万人に避難指示も発令。26日から29日までの長崎県平戸市平戸、佐賀県唐津市唐津の総降水量は、8月の月降水量平年値の2倍超に上ります。福岡県久留米市耳納山、佐賀県佐賀市佐賀、佐賀県白石町白石では、3時間・6時間降水量が観測史上1位を更新しました。
この豪雨により、各地で河川の氾濫、浸水害、土砂災害が起き、消防庁によると、佐賀県、福岡県で死者4人、佐賀県で重傷者1人の人的被害が発生。また、住家についても、全壊・半壊は約1000棟、一部破損、床上・床下浸水は5600棟以上に及びます。(2020年2月4日午後5時現在)。
特に、佐賀県では武雄市や多久市などで浸水により多くの人が孤立しました。杵島郡大町町の1病院と併設する老人保健施設も孤立し、入院・入所者、医師や看護師、自主的に避難した近隣住民などが取り残される事態となりました。また、鉄工所から、油が流出する事故も発生しています。

2017年7月5日〜

九州北部豪雨

提供 :
西日本新聞社 佐賀新聞社 大分合同新聞社

2017年7月5日から6日、 福岡県、大分県を中心に猛烈な雨が降り続け、大きな被害をもたらしました。24時間降水量は、福岡県朝倉市で 545.5ミリ、大分県日田市で 370.0ミリと、各観測所で最高記録を更新したほか 、福岡県雨量観測所で、当時日本の観測史上最大12時間降水量だった707ミリを9時間で超えるなど、記録的な豪雨となった「九州北部豪雨」です。
この豪雨により福岡、大分の両県で死者 40人、行方不明者2人のほか、1600棟を超える家屋の全半壊や床上浸水などの甚大な被害が発生しています。多数の山腹崩壊も起き、大量の土砂や流木が市街地に流れ込んだことも、被害の拡大につながりました。 水道、電気などのライフラインのほか、道路や鉄道、農林業も被害を受け、住居を失った多くの住民は、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされました。
同年夏の梅雨前線による一連の豪雨災害として「激甚災害」に指定されています。
九州北部豪雨の発生要因は、積乱雲が同じ場所で次々と発生し、線状降水帯を形成、停滞して、強い雨を同じ場所に継続して降らせたこととされています。 2020年7月に九州で発生した豪雨についても、線状降水帯の形成が原因とみられています。

2016年4月14日・4月16日

熊本地震

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熊本日日新聞

2016年4月14日と16日の両日、熊本県で震度7の地震が発生。熊本県益城町、西原村を中心に、熊本県から大分県にかけて甚大な被害をもたらしました。同一地域で震度7の揺れが2回観測されたのは、1949年に気象庁震度階級に「震度7」が追加されて以降、初めてのことでした。
多数の家屋倒壊や土砂災害などにより、災害関連死を含む死者は270人、重軽傷者は2737人に上ります(2019年2月13日現在)。電気やガス、水道などのライフラインは止まり、幹線道路も寸断。熊本県が2016年9月に公表した推計では、県内の熊本地震による被害額は約3.8兆円となりました。
車中泊などをして避難所に滞在しない“避難所外避難者”も多かったことから、被災者の動向やニーズ、物資の状況の把握の難しさも課題に。官民連携による迅速な情報共有の重要性が認識される契機となりました。これを背景として、2017年度に中央防災会議の枠組みの下、「国と地方・民間の『災害情報ハブ』推進チーム」が立ち上がり、情報の取り扱いや共有・利活用の仕組みについての検討がスタート。国、地方公共団体、民間が一体となり、災害発生時に避難者を迅速に把握し、円滑な被災者支援をするための体制づくりが進んでいます。

2011年2月

新燃岳噴火 

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宮崎日日新聞 南日本新聞社

2011年1月 26 日、霧島山(新燃岳)でごく小規模な噴火が始まり、気象庁は、さらに活動が活発になる可能性があるとして、噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げました。27日に最初の爆発的噴火が発生し、噴煙は火口縁上 2500メートルに。28日には、火口内に溶岩が出現しています。爆発的な噴火は3月1日までに13 回発生しています。また、いずれの噴火でも火砕流は確認されませんでした。
被害状況としては、2011年3月7日現在、宮崎県都城市や高原町、鹿児島県霧島市で負傷者35人(重傷15人、軽傷20人)が確認されており、灰の除去作業中に脚立などから転落したり、空振で破損した窓ガラスで負傷したりしています。
空振か噴石が原因の物損被害も起きており、霧島市では空振で窓ガラスなどが215件破損。宮崎県では、都城市で空振による店舗自動ドアと自動車ガラスの破損がそれぞれ1件ずつ、噴石での自動車ガラス破損が2件起きているほか、高原町では噴石による太陽光パネル、自動車ガラスなどの破損が23件、小林市では噴石による太陽光パネル、プラスチック製屋根、自動車ガラスなどの破損が696件発生しました。また両県で農作物等が灰をかぶる被害も発生し、農商業にも大きな影響がありました。

2005年3月

西方沖地震

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西日本新聞社 佐賀新聞社

2005年3月20日10時53分、福岡県西方沖を震源とするマグニチュード7.0、深さ9キロの地震が発生しました。この地震により、福岡県の福岡市、前原市、佐賀県のみやき町で震度6弱を、福岡県、佐賀県、長崎県など九州北部を中心に、九州地方から関東地方の一部にかけて震度1〜5強を観測しました。「福岡県西方沖地震」です。
特に被害が大きかった福岡県では、1人が亡くなったほか、計1186人が負傷。住家被害は全壊143棟、半壊352棟、一部破損9185棟まで広がりました。また、佐賀県、長崎県、大分県、山口県でも、負傷者や住家被害が発生しています。(2009年6月12日現在消防庁調べ)
地震活動は、この地震を本震とする本震―余震型で推移し、2005年12月31日までに起きた震度1以上の余震は405回に。このうち最大震度4以上の余震が8回あり、最大余震は4月20日6時11分頃に発生したマグニチュード5.8の地震で、福岡県の福岡市博多区、福岡市中央区、福岡市南区、福岡市早良区、春日市、新宮町、碓井町で震度5強を観測しました。
なお、九州地方で震度6弱以上を観測したのは、1997年5月13日の鹿児島県薩摩地方のマグニチュード6.4、最大深度6弱の地震以来です。

1993年9月3日

1993年台風13号
(鹿児島)

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南日本新聞社

1993年9月3日午後4時ごろ、“戦後最大級”といわれた台風13号が、薩摩半島南部に上陸しました。県本土を南西から北東方向に縦断し大隅半島北部を通り抜けたことにより、県本土全域に暴風と大雨が発生。土砂崩れなどにより、2市3町の33人が亡くなりました。93年は県内各地で豪雨災害が発生していた年。ようやく復旧に向かい始めていた鹿児島を、台風は追い打ちをかけるように襲ったのです。
特に薩摩半島では、大雨が降りました。金峰町大坂扇山地区では大規模な崖崩れが民家を押しつぶし、避難していた付近住民20人が犠牲になりました。また、川辺町小野の崖崩れでは9人、金峰町白川、大口市、垂水市、知覧町では土砂崩れなどで計4人が亡くなっています。このほか重軽傷者は175人に上ります。
強風による建物被害も大きく、住家3万2813棟と非住家3128棟が、全壊や半壊、一部損壊に。また、住家5000棟以上が床下・床上浸水しました。中でも鹿児島市では甲突川、加世田市では万之瀬河が氾濫し、それぞれ約1400棟、約780棟が浸水被害を受けています。さらに、農業関係は298億6000万円、山林関係は119億5000万円を超える被害が出ました。

1993年8月6日〜

8・6豪雨災害

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宮崎日日新聞 南日本新聞社

1993年8月6日、鹿児島市を中心とする一帯が豪雨に見舞われ、同市吉野町竜ケ水の国道10号沿いで土石流が多発しました。その日付から「8・6豪雨」と呼ばれるこの災害の死者・行方不明者は49人に上り、400戸超の家屋が全半壊、河川の氾濫で1万戸以上が浸水しています。甲突川にあった五つの石橋のうち、武之橋と新上橋が流失。甲突川の改修のため、鹿児島県は「河川激甚災害対策特別緊急事業(激特)」適用を国に要請しました。
93年は6月以降、鹿児島県を中心に長期にわたり豪雨が続いた年でした。8・6豪雨のほか、台風などによる被害が相次ぎ、同年夏の県内の死者・行方不明者は計121人に。そのほとんどが、土砂災害の犠牲者です。
豪雨災害から今年で27年。防災対策はハード面、ソフト面ともに向上しています。県によると、砂防関係施設は2018年度末時点で1785カ所となり、93年当時より900カ所以上増えました。また、8・6豪雨のときの避難所への避難者数は約6200人でしたが、19年7月の記録的大雨では、最大8787人が避難しており、県民の防災意識も高まっています。8・6豪雨の教訓を次代に生かし、次の災害が起こった場合に被害を最小に抑える「減災」の取り組みは現在も続いているのです。

1991年9月

1991年台風19号

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熊本日日新聞 西日本新聞社 佐賀新聞社 長崎新聞社 大分合同新聞社 宮崎日日新聞 南日本新聞社

1991年9月16日、マーシャル諸島の西海上で発生した台風19号は、27日午前3時に奄美大島の西約300kmの海上に達し、午後4時過ぎには長崎県佐世保市の南に上陸しました。その後、午後5時ごろに佐賀県中央部、午後5時半ごろに福岡市付近、午後6時ごろに北九州市付近を通過。加速しながら、日本海を北東に進み、強い勢力で北海道渡島半島に再上陸しました。猛烈な風や高潮により、南西諸島から北海道までの全国各地で多数の人的、物的被害を生んだ台風です。
長崎地方気象台によると、人的被害は福岡県で死者11人、負傷者765人、長崎県で死者5人、負傷者257人、佐賀県で負傷者86人に上ります。また、多くの家屋が損壊しており、福岡県で263棟、長崎県で158棟、佐賀県で23棟が全壊しました。最大風速は、長崎県野母崎町で45メートル、長崎で25.6メートルなどを観測しています。
この年に発生した台風17号、18号、19号は、いずれも大雨や暴風を伴い、全国で大きな被害をもたらしました。

1991年6月3日〜

雲仙・普賢岳噴火

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長崎新聞社

1990年11月に噴火活動を再開後、活発な活動を続けていた雲仙・普賢岳 。1991年6月3日、大火砕流が発生し、消防団員、住民、マスコミ関係者など43人の死者・行方不明者が犠牲となりました 。 雲仙・普賢岳の噴火は1792年以来、実に198年ぶりのことでした。
その後も火砕流による被害がたびたび発生したため、人が住む地域で初めて、災害対策基本法に基づく警戒区域に設定されました。人命を優先し、当該区域への立入りが禁止されたのです。それにより、被害は減りましたが、住民の避難生活は長期化し、住宅や田畑などの個人の財産や交通施設、ライフライン施設などの維持管理のほか、土石流対策などの防災対策もなかなか進められない状況が続きました。
噴火活動は、約5年半続きました。1995年以降は火砕流の発生回数が激減し、 火山噴火予知連絡会は同年5月に「雲仙・普賢岳のマグマ供給と噴火活動はほぼ停止状態にある」とのコメントを発表。その後、雲仙・普賢岳被災地は、本格的な復興へと進んでいったのです。
被災期間が長期に渡ったため、災害対策と復興・振興を同時に進行していく必要があった雲仙・普賢岳の噴火災害は、その後の日本の防災対策にも教訓をもたらしました。

1982年7月23日〜

長崎大水害

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長崎新聞社

1982年7月23日から24日、長崎県に停滞した梅雨前線は、総雨量572ミリの豪雨をもたらしました。特に長与町では、日本観測史上最大の1時間187ミリを記録。県内各地で土石流や山崩れなどが発生し、死者・行方不明者299人、重傷者16人、軽傷者789人と、多くの犠牲者と被害が出る大災害となりました。住家被害は全壊584棟、半壊954棟、 床上浸水17,909棟、床下浸水19,197棟におよび、県内の被害総額は約3,153億1千万円に上ります。
長崎大水害は、郊外エリアで発生した土砂災害と、長崎市内中心部で起きた都市水害との両面の特徴をもっています。斜面地に町が形づくられている長崎市では、各地で発生した土砂災害によって多くの死者・行方不明者が犠牲になりました。また、河川災害でも死者・行方不明者が出たほか、長崎市にある中島川、浦上川、八郎川の氾濫により街は大きな経済的被害を受けました。長崎市は近代以降、大水害の経験がなく、市街地を発展させる際に水害対策を充分に取り入れられなかったことが、被害を大きくしたといわれています。
この大水害を教訓に、長崎県や長崎市などの自治体は、治水ダムや砂防工事、防災無線の設置など、災害に強いまちづくりを進めています。

1968年4月

日向灘沖地震

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大分合同新聞社 宮崎日日新聞

1968年4月1日、日向灘を震源とする、マグニチュード7.5、深さ30キロの地震が起き、宮崎県延岡と高知県宿毛で震度5を観測しました。高知・宮崎・愛媛・熊本・大分の5県で、負傷者15人、住家全半壊3棟などの被害が発生しています。また、この地震で津波が起き、四国南西部での実測による高さは最大3メートル以上に。津波による被害としては、床上浸水56棟、船沈没破損3隻などが報告されました。
日向灘は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む境界に位置する、地震活動の活発な地域の一つです。マグニチュード7程度の地震が十数年から数十年に一度の割合で発生しており、津波も起きています。宮崎地方気象台は、日向灘で発生した地震による津波について、「宮崎県の沿岸では、震源・波源域が近いため、地震発生後、すぐに津波が来襲します」と警戒を呼び掛けています。
宮崎県が 1997年3 月に公表した「宮崎県地震被害想定 調査報告書」では、日向灘南部でマグニチュード7.5の地震が発生した場合の揺れは、宮崎市、東諸県郡児湯郡、西都市、日南市の広い範囲で震度6強と想定。また、地震が大潮の満潮時に発生した場合、津波は高いところで標高5メートル程度まで海面が上昇すると想定しています。

1953年6月25日〜

西日本大水害

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西日本新聞社 佐賀新聞社 大分合同新聞社 熊本日日新聞

1953年6月25日から30日にかけ、集中豪雨が九州全域を襲いました。特に九州北部から中部にかけて甚大な被害をもたらし、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、鹿児島の6県での死者・行方不明者の合計は、約千人に上ります。そのほか、約3万を超える家屋が全半壊・流出し、42万戸以上が浸水する大災害となりました。熊本県では「白川大水害」、北九州市の遠賀川流域では「北九州大水害」と呼ばれるなど、地域によって使われている災害名が異なります。
当時の6月27日付の九州各地方紙の朝刊には、阿蘇山・英彦山を中心に総降水量が1,000ミリを超える記録的な豪雨だったこと、特に筑後川水系、白川水系では、下流域にあたる久留米・熊本市内まで水が押し寄せてきたことなどが記されています。また救助には、当時発足したばかりの保安隊に災害派遣を命令が出され、さらに駐留していた米国軍に救援を依頼して、救助活動や救援活動を行っています。
この水害を機に、九州では治水事業が進むことになりました。九州最大の河川である筑後川は治水計画が見直され、新たなダムや分水路、水門が建設されたのです。
約70年経つ今でも、慰霊祭や被害の大きさを後世に伝える活動は続いています。